唐突ですが人の成長ってどんな時か,真面目に考えてみたんですよ.
人によっていろんな考えがある問題だと思うのですが,おいらなりの答えが出ました.
それは,
その人の言葉や文章を読んだ時
です.
でもそれはちょっと条件があって,それは,「自分が認識している特定の人の文章を読んだ時」です.
つまり,感動する映画とか,どっかの誰かの本とか,そういうのではないです.
一時的な感動はするんですけど,別にそれを読んだ(見た)からと言って,成長はしないのです.
(かなりの数の本を読めばそれは別だと思いますが...人間なんて曖昧なものです)
自分が認識している特定の人とは,すなわち,家族とか,恋人とか,友達とか,同期とか,先生とか,先輩とか,後輩とか,そう言った名前と顔,そしてある程度その人が発言しそうな内容が一致しているという条件において,成り立ちます.
自分の成長って,周りの環境(人や物や出来事や歴史や文化)によって構築されると思っています.
そして,少なからず,周りにいる特定の人の影響は大きいと思います.
そう言った人たちの考えは,言葉とか文章とかっていう分解能を持っておいらに伝達されてきます.
つまり,「すごいね!」っていうところを,わざわざ「美しい」や「綺麗」といったり,「優雅だ,,(きもい)」と言ってみたり,その人の言葉や文章によって情景が切り取られるわけです.
おいらが認識している特定の人が,おいらが想像していること以外のことを言うと,「ん!?なんだこいつは?」ってなるんですよね.
なんで,この人はこんなことを言うんだろう...ってすごく不思議に思うわけです.
それは腐肉とかディスりとかではなく,単純な関心で思います.
そういった予想外の場面に遭遇した時に,おいらは成長すると思います.
多分,考えるんですよね.
自分と他人の考えにズレが生じると,心の中で,なんらかしらの埋め合わせをしようとして,だけど,埋め合わすことが困難になので,他人の意見を受け入れるというサイクルになっているのだと思います.
あっ,だいぶ遅れましたが,成長の定義はここでは,「自分の持っている,価値観がちょっとでも変わったとき」っていうことにしておきます.
つまり,成長というものは,価値観が変わるということで,価値観を変えてくれるのは他人ということで,それを許容するのは本人ということで,でもそれを許容するには他人の意見を全肯定して一度考え込まないといけない,というサイクルを踏むわけでございます.
少々回りくどくて,早死にしそうな感じがしているので,ここら辺で終わります.
(1000文字くらいのコラムを今後とも書いていけたらな...と思ってます.応援してくたら嬉しいです.)