落合陽一氏「デジタルネイチャー」をとりあえず10回読んでみた
この記事はこんな人にオススメです
  • 「デジタルネイチャー」が気になる人
  • 落合陽一氏が好きな人

どもども.

飛行機に乗って移動中なのだが,今日はわいの愛読書「デジタルネイチャー」の話をしたい.

タイトルにある10回読んだというのはあながち嘘ではなく,おそらくもっと読んでいると思う.
(そして今も読んでいる)

実は,旅行や学術カンファに行く際は,毎回山口県から出発するおいらは飛行機や新幹線に乗らざるを得ないのだけれども,その時には必ず持参してしょっぱなから読む.

そう,あの濃霧に包まれた車内,助手席に座っている間でさえも「デジタルネイチャー」を推敲していると想定できる落合陽一氏のまえがきから始まるあの本である.

濃霧に包み込まれている車の運転を可能にしている事こそが,著書のタイトルである「デジタルネイチャー」のまえがきに抜擢されているのだが,どこか小説調になっていてすごく引きこまれるイントロである.

小説調でスタートが切られたと思ったら,話の内容は「デジタルネイチャー」という一本の太い神妙な軸をあらゆる角度から説明されて行く.

なお定価は3000円だけれども,この前書きだけで1000円分の価値があるように思う.

前書き中盤では「胡蝶の夢」,「時事無碍」,「E2E」,「松尾芭蕉」などの固有名詞や具体的例を用いてデジタルネイチャーの説明が,非常に高い難易度の日本語でなされており何回読んでも飽きない.

いや,何回読んでも飽きないというよりは,一回で全てを理解するにはすごく時間がかかる.

そのため,理解するための効率の良い読書としては1,2回さらっと読んでしまって繰り返し初めから読み返すことをすすめる.

そんな一冊である.
落合氏の頭の中を言語化するのは限りなく不可能に近いが,なるべく情報の欠落をさせずに表現したものであると考えれば,一回で理解するという方が無理である.

波動をあやつる

落合陽一氏は,自身を常々「波動をあやつるもの」というが,世の中は全て波動であると感じるのでそれは誠にすごいことである.

波動とは,「波の動き」であるが,日常は波で溢れている.
表面ではそれは眩しかったり,速かったり,うるさかったりするのであるが,それをマクロ的に見ると波という一種の形態が根元にある.
また,波というものはコントローラブルであるので,操ることができるのである.

わいが研究でやっている脳波というのも電気的な波であるが,要は自然現象から人の動きまで全て波である.

では,その波は,人間にどう写るのだろうか.

もちろん目に写ることもあるし,なんらかしらのリズムが聴こえ耳に写るかもしれんない,

もしくは認知や反射の情報が脳波に映るかもしれない.

落合陽一氏は言う.

「デジタルネイチャー」とは「生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで,現存する自然を更新し,実装することだ」

生体の中で.網膜や蝸牛は量子化装置である.

それは空間の光線や空気振動をデジタル化して神経系へと接続する装置である.

アナログな工学回路として設計されている虹彩やレンズと網膜の対比,鼓膜や耳小骨と蝸牛の対比に身体の中に遍在するデジタルとアナログの通信を見て取ることができる.

我々が感じている波というものは全て,AD変換されて内側に届いているのだろう.

しかし落合陽一氏のいうデジタルネイチャーは,計算機と非計算機,つまりデジタルとアナログという二項対立を円環的に超越していく思想なのである.

つまり十分に発達したテクノロジーの中では,人工物と自然物の区別がいつかつかなくなるよねっていう話である.

人工物と自然物の区別がつかなくなるとはどういうことなのか

デジタルというものは定量であり,アナログというものは定性であると,しばしば説明されてきたと思う.

具体例を出すと,今日の気温は暑いという”気温”はまだアナログであり,この”気温”をなんらかのセンサーで計測すると,
途端に32℃というデジタルな定量な信号が計測されるとする.

では,この32℃という温度は本当に正しいのか?

それは計測系の温度分解能による話である.

もっと分解能の高い計測器で測定すると,32.24℃かもしれない.

この量を決める縦軸の幅を決めることを量子化という.

では,横軸は何か?

横軸は一般的には”時間”である.気温はずっと32℃で一定を保つわけがないのが自然であるから,ある時間間隔ごとに計測をする.

この時間間隔がサンプリングと言われるものであり,これも計測器によるパラメータである.

1秒に1回計測できるものもあれば,1秒に1000回計測できるものもある.

落合陽一氏は,世界のあらゆる事象がコンピュータにより記述されると,人工と自然は揺らぎ始めると説く.

人間が感じられるサンプリング解像度を上回った時に,光線空間を完全に再現できるプロジェクタがあれば,人の見える世界は人工と自然の区別はつかなくなる.

完全に同意である.

また,
著書の後半の方では自身の研究作品の紹介があり,「デジタルネイチャー」の関心がさらに高くなる.

とりあえず,ちょっとだけ著書の「デジタルネイチャー」というものを取り上げてみたが,

情報量の多さもさることながら,知らなかったいろんな言葉や考え方に出会うことが出来る最高の一冊であると考える.

あまり書き過ぎたらネタバレになるかもしれないので,続きは本書を読まれたい.

好きなAIについての説明

最後に,本書の中には数多好きなフレーズがあるが「AI」に関するものを一つだけ紹介したい.
そのまま転作しておらず若干省略しているが本質はそのまま.

直方体のブロックを使えばピラミッドを作るのは容易に出来る.
しかしバナナやりんごなどの果物を使ってピラミッドを作れと言われたらすごく難しい.
果物でピラミッドを組むためには,コンピュータでモデルを作り,形状や重心を考えてどのように組み立てればピラミッドが崩壊しないのかを考えれば可能でさる.
個々に異なる果物のバランスが一致したピラミッドが出来る.

これは人間社会にも同様に言える.

これまでの足並みを揃える教育は,直方体型に揃える発想だった.
しかし,コンピュータによって個人の画一化をしなくても,多様性が保てるようになりつつある.
バナナやりんごで積み上げたピラミッドのように,多様で不揃いな形状であっても大丈夫.
外形的にはカオティックに見えるが,個々の人間が余剰や歪みを引き受けるような無理は無くなる.

デジタルネイチャー,<近代>を規定する「エジソン=フォード境界」を乗り越えるより