【仏教の歴史】仏教に救いを求める日本の神々

こんにちは.けんゆー(@kenyu0501_)です.
本記事のイラストについては,いらすとやより拝借したもので,実際のものとは異なる点があることを初めにご了承願います.
今回は,仏教や日本の神について記事を書いていきたいと思います!

ペンのすけ

知り合いの方から,情報をいただきましたのでざっくりとまとめて記事にしました.!

6世紀に中国大陸から朝鮮半島を経由して日本に仏教が伝来しました.
仏教伝来当時,日本では仏教を現世での安穏を得るための異国神と捉えられていました.
仏教が伝来する以前に日本にも独自の信仰がありました.それは自然の力を崇める原始的な信仰で,これを神祇信仰と言います.

神道」という概念はもう少し後世になってから生まれるので,ここでは神祇信仰という言葉で統一します.
さて神祇信仰がすでに大王や有力豪族の信仰として根付いていたところに「外来神」であるがやってきました.
ここで起きたのは崇仏派(仏教受容賛成派)と廃仏派(仏教受容否定派)の論争です.
下のイメージ図を参考にしてください.

論争は結局崇仏派が勝利し,朝廷を中心に仏教への信仰が広まっていました.
しかし当時は,仏教そのものを受け入れるのは困難でした.

なぜなら仏教の教学は本質的に大変哲学的で,神祇信仰のように供物を捧げ,神を喜ばせれば福が得られる,というものではないからです.

もちろん経典にはそのような功徳も記載されていますが,これはあくまで方便であり,本質はこの世の執着を離れ,悟りの境地へたどり着くことが釈迦が説いた教え,つまり仏教なのです.

朝廷など中央政府に至っては,中国大陸や朝鮮半島より僧を招くことで本来の仏教に近い考え方を会得した人物も現れました.
しかし周辺では仏教への信仰と神祇信仰にどのように折り合いを付けるかが問題となっていました.

仏教は初め朝廷に伝わり,朝廷から地方の豪族へと伝えられました.
地方の豪族たちは為政者であると同時に一族の神祭りを担う司祭者でもありました.

そこで仏教を受け入れるための素地として考え出されたのが「神身離脱」という思想です.
仏教において,一切衆生(この世に生きるありとあらゆる存在)は天,人間,修羅,畜生,餓鬼,地獄の六道を輪廻する存在と考えられます.
そして釈迦の教えを会得し,その六道から抜け出すことを仏教の最終的な目的となります.
つまりこのパンテオンにおいては日本の神々も天,つまり苦しむ存在であり,彼らも仏教による救済を望んでいるという考えが現れたのです.この考え方が「神身離脱思想」です.以下のイメージ図をご覧ください.

多度の神や気比の神がよく知られています.
しかしそれだけではなくほぼ全国規模で見られる現象でもありました.

このことは文化面にも大きな影響を与えました.
神のために仏教を供するため付属施設として神宮寺が建立されたのです.
これは神が祭祀を担う豪族や官僚に命令して建立されたと縁起では語られます.
以下のイメージ図をご覧ください.

神は言う,「我は前世の業により神の身を受けるに至った.我はこれに苦悩する.我のために寺を建て供養せよ」と.
こうして神のために寺が造られ,そこには社僧という神社専属の僧侶が登場しました.
このため神社の司祭者は神と仏の両方に仕える形になりました.
この神と仏をともに崇めるという宗教観は生まれ,現在でも引き継がれています.
また神々の前で仏教の経典を読み上げる神前読経もこの時期より始まりました.

こうして神社と仏教の距離は急速に縮まりました.

これは後の中世という時代にさまざまな神仏入り混じった信仰世界を形成するための培土となったのです.
例えば神社に関与する僧侶がその神社の縁起を仏教の教義をもって解釈し作られた中世縁起や中世神話と呼ばれるものが存在します.
今でもこの時の名残はわずかながら全国で見ることができるので,初詣など神社や寺院にお参りする際にはチェックしてみても良いでしょう.
しかし注意しなければならないのは神仏が融合していく入口となったのはこの心身離脱思想だけでなく,もっと多様で複雑です.
また機会があれば論じたいと思います.

ペンのすけ

複雑な話を読んでくれてありがと!